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盛岡地方裁判所 平成9年(ヨ)8号 決定

主文

本件申立を却下する。

申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一  申立の趣旨

債務者は、申立外社団法人岩手県銀行協会盛岡手形交換所に対し、平成八年六月四日付でなした債権者に対する取引停止処分取消請求の意思表示をせよ。

第二  基本的事実関係

疎明資料(〈証拠略〉)並びに審尋の全趣旨によれば、本件については概ね以下のような事実の経過が認められる。

一  債権者は、食品の加工・製造販売業を目的とする法人であり、債務者は、銀行業を営む会社である。

二  債権者は、債務者に対し、自己振出しに係る約束手形につき、以下記載のとおり、申立外社団法人岩手県銀行協会盛岡手形交換所(以下「申立外協会」という)に対する異議申立手続を委任すると同時に異議申立預託金を債務者に預託し、債務者は、右手続をなすことを受任し、申立外協会に対し、各記載の日時ころに預託金額と同額の異議申立提供金を提供して異議申立手続を行った。

1(一)  依頼月日 平成七年一〇月三一日

(二)  預託金額 三九五万〇四一二円

2(一)  依頼月日 右同日

(二)  預託金額 四五五万三五二〇円

3(一)  依頼月日 平成八年二月二九日

(二)  預託金額 二〇〇万円

4(一)  依頼月日 同年四月一日

(二)  預託金額 二一〇万円

5(一)  依頼月日 同年五月二七日

(二)  預託金額 二八〇万円

以上預託金合計 一五四〇万三九三二円

三  平成八年五月三一日、債権者振出しに係る、支払期日同日、支払場所債務者本宮支店の約束手形二八通(額面合計金一〇八八万五九三七円)が申立外協会を通じて債務者本宮支店に呈示されたが、資金不足により不渡となった。

四  同年六月三日(同年五月三一日の翌営業日)、債務者は、右手形につき不渡届を申立外協会に提出した。

五  同月四日、債務者が申立外協会に対し、盛岡手形交換所規則五五条一項三号(支払銀行から不渡報告への掲載または取引停止処分を受けることもやむを得ないものとして異議申立の取下げの請求があった場合において、支払銀行から請求があったときは、異議申立提供金を返還する)に基づき、前記二記載の異議申立を全て取り下げる旨の請求を行ったため、申立外協会は、同日、異議申立提供金を債務者に返還すると共に、盛岡手形交換所規則五五条三項(支払銀行からの異議申立の取下げの請求により異議申立提供金を返還した場合には、その返還した日を交換日とする不渡届が提出されたものとみなす)に基づき、債権者につき六ヶ月以内に二度の不渡届の提出があったものとして同人を取引停止処分に付した。

六  同月七日ころ、債務者は債権者に対し、債務者の債権者に対する手形貸付金(支払期日平成八年三月二一日、金額二〇〇〇万円)と債権者の債務者に対する前記二の預託金返還請求債権全額とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。

第三  当事者の主張の要旨

一  債権者

手形交換所に対する異議申立の取下げ請求については、委任者たる手形債務者の承認ないしは同意がなければ受任者たる支払銀行はすることができないと解される上、異議申立の取下げ請求をしないでも債権者の債務者に対する異議申立預託金返還請求権と債務者の債権者に対する手形貸付金とを相殺することは可能であるから異議申立の取下げは必要性をも欠くものである。したがって、本件において、債務者が事前に債権者の承認ないしは同意なしに異議申立の取下げ請求をなしたことは重大な過誤に基づく手続である。

ところで、手形交換所に対する異議申立手続の委任を受けた支払銀行の義務は、単に異議申立を行って不渡処分ないし取引停止処分を回避させることだけに限られるのではなく、委任者が不渡処分、取引停止処分を受けないよう注意し、必要にして適切な手続をとることも含まれるから、本件においても、債務者は、自らの誤った行為により生じた債権者の取引停止処分を撤回ないし取消させるためにそのなしうることを全て行う義務がある。

そこで、盛岡手形交換所規則五六条一項(不渡報告又は取引停止処分が参加銀行の取扱錯誤による場合は、当該銀行は交換所に対し、不渡報告又は取引停止処分の取消を請求しなければならない)に基づき、債権者は債務者に対し、申立外協会に対し、取引停止処分の取消請求をすることを求める。

二  債務者

1  手形交換所に対する異議申立の取下げ請求の是非の判断は支払銀行がなすべきものであって、委任者の承諾や同意を必要とするものではない。

本件においては、債権者につきその支払能力を疑わせる事由が多々あったため、手形の信用維持という交換加盟銀行としての責任上、債権者につき不渡報告への掲載または取引停止処分を受けることも己むを得ないものとして、異議申立を取り下げたものである。

2  また、異議申立の取下げが債権者の承認ないし同意がない限りできないとするならば、債権者の債務者に対する異議申立預託金返還請求権と債務者の債権者に対する債権を相殺して債権の回収を図ろうとした場合、債権者の異議申立預託金返還請求権は相殺により消滅するが、債務者が手形交換所に積んだ異議申立提供金は交換所に二年間、無利息のまま積んでおかなければならなくなり、債権者は異議申立預託金がないにも拘わらず不渡処分を免れる一方、債務者は本来の銀行の営業の用に供すべき資金を非営利の目的で凍結することになり、債務者の損失で、債権者に利益を与えることになる。

このため債務者は、交換所に積んだ本件異議申立提供金を取り戻し、前記手形債権で異議申立預託金返還請求権と相殺したものであり、これは適法な措置である。

第四  裁判所の判断

一  手形交換所に対する異議申立を依頼した手形債務者と支払銀行とが委任契約の委任者・受任者の関係に立ち、受任者たる支払銀行は善良なる管理者の注意義務を尽くして委任事務を処理すべきであって、単に異議の申立をするだけではなく、可能な限り不渡処分の猶予を維持することに努める義務があることは確かに債権者主張のとおりである。

しかし、そうだからといって、支払銀行の不渡異議申立に際して右提供金の費用として手形債務者から支払銀行に提供される異議申立預託金が相殺等により消滅した場合にまで、支払銀行が異議申立を維持しなければならないと解することは、手形債務者が支払銀行に異議申立預託金を供していないと同様な状態にもかかわらず不渡の処分を免れる利益を享受する一方、支払銀行は異議申立提供金を手形交換所において手形債務者のために拘束しなければならないという不利益を生み出すものであって極めて不合理というべきである。

したがって、支払銀行につき、異議申立預託金返還請求権と手形債務者に対する債権を相殺して債権の回収を図ろうとする場合においては、これによって補償関係を欠くこととなる異議申立提供金の返還を交換所に求めても委任契約の趣旨に何ら反するものではない。よって、そのような場合における異議申立の取下げは適法なものであり、かつ、取下げに際して手形債務者の承諾や同意を得ることも不要であると解する。

しかしながら、異議申立の取下げは手形債務者につき即不渡報告への掲載ないしは取引停止処分を招くものであるから、手形債務者の手形の信用状況、支払銀行に対する債務の内容・返済状況、取下げの時期等に鑑みて、手形債務者を敢えて右のような処分に付してまで支払銀行の債権を回収することが権利の濫用となるような特段の事情が認められる場合には、異議申立の取下げは許されないと解する。

二  以上を前提に本件を検討すると、債務者は債権者に対し、異議申立の取下げの日時ころには、数度にわたって書き替えられていた約束手形貸付金合計五四〇〇万円(支払期日平成八年三月二一日額面金二〇〇〇万円及び同三四〇〇万円)を有していたにもかかわらず、債権者は右債務につきその時点までに何ら返済の目途を有していなかったことが認められ(〈証拠略〉、審尋の全趣旨)、債権者は、その不払遅延については何ら合理的説明をすることができていないのであって、債務者の右債権と債権者の債務者に対する異議申立預託金返還請求権とを相殺して債権の回収をする必要性は高かったというべきである。

一方、債権者の手形等の決済状況をみると、平成八年四月一日及び同月一〇日には、手形及び小切手の決済資金の不足を生じ、右不足金を支払場所ではない債務者東京支店に持ち込んだこと、同年五月二七日及び同月二八日には、資金不足による手形及び小切手の不渡を生じさせたこと、さらに、同月三一日に、前記第二の三記載の手形及び支払期日同日の約束手形八通(額面合計三七一万五三九四円)などについて資金不足による不渡を再度生じさせたこと(なお、前記第二の三記載の手形を除いて不渡届は申立外協会に提出されていない。)が認められる(〈証拠略〉)。

もっとも、この点について債権者は、あるいは支払期日直後にこれらを決済するにつき十分な資金の用意ができていたこと、あるいは所持人に右手形等の書替えに応じてもらっていること(〈証拠略〉)から手形等の信用につき問題がなかったと主張するが、現に前記の手形等は不渡となっており、債務者において右手形等を不渡と扱ったことに手続上の過誤も認められないし、ことさら害意をもって債権者に不利益に行動したと認めるに足りる疎明資料もない。

以上からは、債務者の行為が権利の濫用となるべき特段の事情は見受けられない。

三  その他疎明資料に顕れた事情を考慮しても債務者の行為が権利の濫用になると認めるには足りない。

四  よって、債務者につき委任契約の債務不履行と認められる事由がないのであるから、債権者の申立はその余の点につき判断するまでもなく理由がないことが明らかであるので、主文のとおり決定する。

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